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相模原事件のこと

独り言

7月26日相模原市緑区知的障害者施設に男性が侵入し、入居者19名が死亡、26人が重軽傷を負った。
事前に衆議院議長あてに以下のような内容の手紙を書いていたことが報道された。
『障害者は人間としてではなく、動物として生活を過しております。』
『私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。』

 

ずっと気になっているが、うまく言葉を見つけられないまま、世田谷で主に福祉施設で働いていたり、介護をしていたりする人々や障害者の人が事件について語る集まりに参加した。

 

参加者の方が、自分自身の課題と事件を結びつけて話しされる様子に元気づけられた。ただ、私自身はどのような立場から、何を、誰に話すべきか、まだ整理できていない。


なぜ殺されるのが、私であったのかという理不尽さとともに、
殺された方の無念は、容疑者だけでなく、殺されずに生きている人すべてに向けられているように思う。
生きている側の人間が、評論家的な立場から事件を題材に、障害者運動を語ったり、安倍政治を語ったりというという身振りになんとなく距離を感じてしまう。
亡くなった人がどのように生きていたのか、その人にどのような歴史があったのか
も大事な気がする。

今、自分でそれをする力量も、時間的余裕もない。

 

事件のことが気になったそもそもの理由を考えると「19人もの人が選ばれて殺された」ということにあるような気する。

無差別テロで多くの人が亡くなるというのは違い、ある属性の人が選ばれて、多数殺されるということは、私の身の回りではあまりなかったように思う。

そもそもそうした対象として選ばれる人を集めた施設が存在したこともそのことにつながっている。そうした施設がなければ、普通の人が対象となる属性の人々を探し出し、多数一度に殺すことができない。

選ばれた属性の人と自分との関係はどうだったのだろうということも気になっている。

私が介助などでかかわってきたのは重度身体障碍者であっても、比較的意思がはっきりしている人々だった。重度知的障害の人々と10数年関わり続けることの明確なイメージがまだ、自分では持てていない。そのことが重なり、なんとなく発言しにくいという感覚がある。